水色ブログ。

水色をこよなく愛する、 40代女です。 のんびり気ままに綴ります。最近は親の介護の話題ばかりです。

緊急入院のその夜。

母が緊急入院となり、身の回りの必要なものをとりあえず買って準備し、再び病院へ

持参しました。病室に入ってしまったため、荷物は看護師さんへ渡すのみ。別室にて、

万が一、心臓が止まった時の対応をどうするか、お母さまと今までに話したりしたこと

はありますか?と聞かれました。あらためて家族でそういった話はしてこなかったな。

冗談っぽく、死ぬときはぽっくり逝かないとね。なんて母親はよく言ってましたが。

その事も、なるべく早急にどうするのか決めておいてくださいと。

 

荷物を預けて、昼下がりでしたが、私は急遽抜け出した職場へ。これからいつ何がある

か分からないし、そうなった時のために仕事を色々と片付けていました。仕事を始めて

1時間ほどして、再び病院から電話が。

 

母の意識が無い状態になっている。一度会っておいてもらいたいとのこと。

来られる親族の方は皆さん来ていただいて結構ですので。

え?さっき病室へ入ったときは弱々しくも、目を開いて手を上げていたのに??

姉家族に連絡。息子や父にも連絡し、それぞれ病院へ再び集合。

 

酸素がかなり低い状態となり、今のところ意識がありませんが、

数人ずつで短時間で会ってくださいと。案内された病室で、母はいくつもの

管につながれ、酸素マスクをつけられ、目は閉じたまま、ほぼ眠っているような

状態でした。声をかけたら、すこし瞼がピクッとした様子。声が聞こえたのかな。

こんな状況でしたが、突然すぎて、なんと声をかけてよいのかわからず、

「ばあや!(息子が生まれてからこの呼び方)みんな来てるよ。頑張りなよ!」

それくらいしか言えず、まして最後の別れになるかもしれないのに、そんな言葉は

かけられず…。結局数分だけでしたが、全く反応のなくなった姿を見ただけで面会は

終わりました。

またなにか容体が変わったら連絡するので、常に連絡を取れる状態にしておいて

くださいと。

 

救命措置については、姉とも相談し、希望しないと伝えました。いくつもの病気を患い

長い間、辛い苦しい思いをしてきた母を思うと、それが一番良いのだと。それでも、

私たちがそれを決めてよいのだろうか、という葛藤。

延命措置をどうするか、これは本当に本人の意識がしっかりしているうちに、真面目に

話し合っておくべきだと思いました。でないと、いくら親族が話し合って決めたとしても、これで良かったのだろうか?という思いがずっとずっと残るのだと思います。

 

そして、しばらくはいつ緊急の電話が鳴るか、不安な日々となりました。