水色ブログ。

水色をこよなく愛する、 40代女です。 のんびり気ままに綴ります。最近は親の介護の話題ばかりです。

姉との別れ。

私には5つ年の離れた姉がいます。先日、あまりにも突然に姉が亡くなりました。

結婚後、お互いに初めての出産が同時期に迎え、それからは姉妹というよりも、

ママ友のような存在で、何でも相談できる頼りになる姉でした。

 

体調を崩したのは今年に入ってからです。1月下旬に微熱が続き、2月上旬に

入院。この時に免疫系の病気と診断されたのですが、投薬治療で体調はかなり

回復しました。その後、荷物を届けた時に、歩行器を押しながら、

ナースステーションまで歩いてきてくれました。離れた位置で、少しだけ

会話をしました。これが姉との最後の会話になりました。最後だなんて、

私も当の本人も思ってなかったです。「じゃあまたね!」くらいの感じで。

 

数日後、姉の調が急変し、さらに大きな病院へ転院することになりました。

転院前の移動の際に、姉に会うことができたのですが、この時は意識が朦朧と

しており、「姉ちゃん!私だよ!頑張るんだよ!」と声をかけると、わずかに

うなずいてくれました。

それ以降は大学病院のICUに入り、面会は全くできない状態でした。

あまりの急変に信じられず、あの姿を見てもやはり信じられず…。

ICUに搬送されてから約2週間後、病院から呼び出されました。

病状を説明され、かなり厳しい状況なので、今のうちに会っておいた方が

良いという話。義兄さんと私の2人で、ほんの少しだけ姉に会うことになりました。

ICUに入ってからの2週間、どれだけ地獄のような苦しい思いをしてきたか、

その姿を見て愕然としました。先生は意識は無い状態と言っていたのですが、

私が会った時、姉の両目は開いていて、義兄さんと2人で声をかけ続けていると、

姉の目からひと筋の涙が流れていました。

ベッドの上で、ひとりでどれだけ頑張っていたんだろう、本当に寂しくて

不安で辛かっただろうね、と。

翌日、再び先生からの説明があり、すべての治療や投薬を最大限の状態で

行っているけれど、これ以上の回復は厳しく、姉の身体への負担が厳しい

とのこと。ここで義兄と私は、決断を迫られることになりました。

今の様々な装置を外せば、ICUから一般病棟の個室に移動し、家族が

数人ずつ交代で姉に付き添う事ができるとのこと。そうしてもらうことに

決めました。あの苦しそうな姉の姿を見た私たちには、この決断しか

できないな、と。

 

個室に移り、義兄さんと姉の2人の息子、そして私の4人で見送りました。

個室に移ってからは2時間ほどで旅立って行きました。

 

その後は、義兄さんと私は、悲しみに浸る間もないくらいに、事務的な手続き

や通夜・葬儀の準備に追われました。棺の中で眠る姉の顔を見ても、全く

実感が湧かないまま、姉はお骨となりました。

 

姉とは2人姉妹。家は車で20分ほどの距離。お互いの息子は同年齢で

仲良しの従兄弟3人組。今まで、一緒にたくさんの場所に行ったり、

パーティをしたり、息子3人がお泊りでお互いの家を行ったり来たり、

にぎやかな日々でした。楽しい思い出ばかりです。

 

お互い育児が落ち着いてからは、私たちの親の介護が始まり、姉も

病院の送迎など色々と協力してくれました。私たちの実家の事も何かと

話し合ってきたので、これからは私ひとりで決めなくてはなりません。

不安で寂しい気持ちでいっぱいです。

 

幸か不幸か、私の仕事は繁忙期となり、色々と考えるヒマもなく1日が

終わります。帰ってからはいつものように家事と親の介護があります。

淡々と同じ日常に戻りつつあります。

「こんにちは!来たよ~!」と姉がいつものように我が家に来てくれる

ような気がしてなりません。

 

お別れの言葉をかけあうこともできないなんて…。

でも、姉ちゃんはどこかそばにいて、こんなこと言ってそうだな、

なんて思ってしまうのです。

 

ホワイトデーに旅立った姉ちゃん。享年53歳。

毎年、バレンタインデーには息子達へだけでなく、私にもプレゼントしてくれて

いました。今年は入院前に買っていたくれてたようです。

先日、荷物をの整理をしていた義兄さんからもらいました。

お姉ちゃんから私への最後のプレゼント。

とても可愛い、私の大好きな水色の箱に入ったチョコレートでした。

食べられないなぁ、とも思いましたが、美味しく食べることにします。

 

ありがとうお姉ちゃん。安らかに。